タビノキヲク
「K」が「お嬢さん」に対して抱いている恋心を知った「私」・・・
そんな「私」は「K」よりも早く、そして「K」の知らぬ間に
事を運ぶべく覚悟を決め、「奥さん」に娘さんが欲しい旨伝えると
「奥さん」はあっさり承知し、娘が帰ってきたらすぐ話そう
ということになりました。
しかし「私」は居てもたってもいられなくなり、表へ出たのです。
そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。
「私」が住んでいたのは
蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅へ帰りました。
とあることから、「お嬢さん」と会ったのは
その坂の下だと思います。
その坂がどれだか分かりませんが
恐らく坂を下って右に曲がって春日通りに
出たんだと思います。
なので、始点は『富坂下』としましょう。
突然ですが、ある晴れた日
「夏目漱石こころの旅」をしてきました。
自宅から自転車で約1時間
富坂下に到着です―
私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、
ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。
春日通りを100mくらい行くと、
白山通りとぶつかりますので、右折します。
私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。
水道橋を越えてそのまままっすぐ行くと
靖国通りとぶつかる、神保町の交差点です。
が
直進もつまらないので、猿楽町をふらついてみましょう。
↑写真で見ると何てことない坂道ですが・・・
実は結構急な上り坂です。
しかも皀角坂と書いてサイカチザカ
って読めないし。
ここには駿河台大学法科大学院や
東京デザイナー学院があります。
坂道通学、大変ね~・・・。
駿台法科をまがって少し行くと
女坂
という何とも色っぽい名前の階段があります。
ええ。
階段
です。
その歴史は案外浅く、1924年だとか。
っていうか途中に家が建ってることが、すごい。
踊り場があって、途中で小休止できるようになっているのが女坂。
対する男坂は一直線だそうです。さすが、男前だ・・・。
寄り道終了。靖国通りを目指して進むと・・・
↑猿楽町々會詰所 保存建物だそうです。
大きな地図で見る
さ、そんなこんなで
白山通りと靖国通りがぶつかる
神保町の交差点に来ました。
小川町に向かうため、左折します。
ちなみに神保町駅付近の商店街(屋根つき)は
グリューネアレーといいます。
何故ゲンルマン風?と思いつつ
小さな商店街、がんばれ!!
↑小川町の交差点に到着です。
私はとうとう万世橋を渡って、
万世橋へは、もうちょっと先の
須田町交差点を左折します。
↑現代の万世橋は電脳街への入口・・・。
そして万世橋から名をとった、肉の万世・・・。
明神(みょうじん)の坂を上がって、
昌平橋経由で来たので、 明神坂下交差点を左折します。
↑左に湯島聖堂、右に神田明神。
本郷台(ほんごうだい)へ来て、
現在、本郷台という地名なし。
でもまぁ、~台という名の通り台地なのでしょう。
よくわかりませんが
とりあえず本郷三丁目辺りまで行きます。
それからまた菊坂を下りて、
本郷三丁目の交差点を少し行くと
左に、非常にゆるい坂道があります。
これが菊坂。
樋口一葉ゆかりの地域でもあります。
というわけで、ここでもちょっと寄り道します。
脇道の坂を上ると、風情のある民家や旅館が・・・。
戦前まで、この辺りには下宿屋が多かったという
ここは梨木坂。
都会では珍しいくらいの静寂に包まれていました。
それと、
『鳳明館』という旅館に泊まってみたくなりました。
↑昔は何が見えたんだろう。
今は
後楽園の観覧車が見えるよ・・・。
樋口一葉が一時期住んでいた辺りは、今も人々が日常生活を送っています。
この井戸で水を汲んでいたのでしょう。
生活の足しに、と通った伊勢屋質店は、昭和57年に廃業しました。
しまいに小石川の谷へ下りたのです。
やがて菊坂下に到着。左折します。
白山通り、西片交差点を渡ってまっすぐ行くと
蒟蒻閻魔(源覚寺)があります。
「小石川の谷」とやらが、どこだかわからなかったので
終点は、蒟蒻閻魔にしてしまいました(^_^;)
谷というくらいだから坂の下だろう・・・。
(テキトーだな、おいっ)
私の歩いた距離はこの三区に跨がって、
いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、
私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。
この行程が長い、というのは自覚していたんですね。
とっても遠い道のりでしたよ。
いかに悶々としてたかが伺える「いびつな円」の
こころの旅でした。
おしまい
夏目漱石の『こころ』が読みたい方は⇒コチラ/青空文庫
そんな「私」は「K」よりも早く、そして「K」の知らぬ間に
事を運ぶべく覚悟を決め、「奥さん」に娘さんが欲しい旨伝えると
「奥さん」はあっさり承知し、娘が帰ってきたらすぐ話そう
ということになりました。
しかし「私」は居てもたってもいられなくなり、表へ出たのです。
そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。
「私」が住んでいたのは
蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅へ帰りました。
とあることから、「お嬢さん」と会ったのは
その坂の下だと思います。
その坂がどれだか分かりませんが
恐らく坂を下って右に曲がって春日通りに
出たんだと思います。
なので、始点は『富坂下』としましょう。
突然ですが、ある晴れた日
「夏目漱石こころの旅」をしてきました。
自宅から自転車で約1時間
富坂下に到着です―
私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、
ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。
春日通りを100mくらい行くと、
白山通りとぶつかりますので、右折します。
私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。
水道橋を越えてそのまままっすぐ行くと
靖国通りとぶつかる、神保町の交差点です。
が
直進もつまらないので、猿楽町をふらついてみましょう。
↑写真で見ると何てことない坂道ですが・・・
実は結構急な上り坂です。
しかも皀角坂と書いてサイカチザカ
って読めないし。
ここには駿河台大学法科大学院や
東京デザイナー学院があります。
坂道通学、大変ね~・・・。
駿台法科をまがって少し行くと
女坂
という何とも色っぽい名前の階段があります。
ええ。
階段
です。
その歴史は案外浅く、1924年だとか。
っていうか途中に家が建ってることが、すごい。
踊り場があって、途中で小休止できるようになっているのが女坂。
対する男坂は一直線だそうです。さすが、男前だ・・・。
寄り道終了。靖国通りを目指して進むと・・・
↑猿楽町々會詰所 保存建物だそうです。
↓たしかこの辺
大きな地図で見る
さ、そんなこんなで
白山通りと靖国通りがぶつかる
神保町の交差点に来ました。
小川町に向かうため、左折します。
ちなみに神保町駅付近の商店街(屋根つき)は
グリューネアレーといいます。
何故ゲンルマン風?と思いつつ
小さな商店街、がんばれ!!
↑小川町の交差点に到着です。
私はとうとう万世橋を渡って、
万世橋へは、もうちょっと先の
須田町交差点を左折します。
↑現代の万世橋は電脳街への入口・・・。
そして万世橋から名をとった、肉の万世・・・。
明神(みょうじん)の坂を上がって、
昌平橋経由で来たので、 明神坂下交差点を左折します。
↑左に湯島聖堂、右に神田明神。
本郷台(ほんごうだい)へ来て、
現在、本郷台という地名なし。
でもまぁ、~台という名の通り台地なのでしょう。
よくわかりませんが
とりあえず本郷三丁目辺りまで行きます。
それからまた菊坂を下りて、
本郷三丁目の交差点を少し行くと
左に、非常にゆるい坂道があります。
これが菊坂。
樋口一葉ゆかりの地域でもあります。
というわけで、ここでもちょっと寄り道します。
脇道の坂を上ると、風情のある民家や旅館が・・・。
戦前まで、この辺りには下宿屋が多かったという
ここは梨木坂。
都会では珍しいくらいの静寂に包まれていました。
それと、
『鳳明館』という旅館に泊まってみたくなりました。
↑昔は何が見えたんだろう。
今は
後楽園の観覧車が見えるよ・・・。
樋口一葉が一時期住んでいた辺りは、今も人々が日常生活を送っています。
この井戸で水を汲んでいたのでしょう。
生活の足しに、と通った伊勢屋質店は、昭和57年に廃業しました。
しまいに小石川の谷へ下りたのです。
やがて菊坂下に到着。左折します。
白山通り、西片交差点を渡ってまっすぐ行くと
蒟蒻閻魔(源覚寺)があります。
「小石川の谷」とやらが、どこだかわからなかったので
終点は、蒟蒻閻魔にしてしまいました(^_^;)
谷というくらいだから坂の下だろう・・・。
(テキトーだな、おいっ)
私の歩いた距離はこの三区に跨がって、
いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、
私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。
この行程が長い、というのは自覚していたんですね。
とっても遠い道のりでしたよ。
いかに悶々としてたかが伺える「いびつな円」の
こころの旅でした。
おしまい
夏目漱石の『こころ』が読みたい方は⇒コチラ/青空文庫
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